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今日のgoogleトップページは「平塚らいてう」生誕128周年

平塚らいてう

平塚らいてう

平塚らいてう(ひらつか らいちょう、本名:奥村 明(おくむら はる))1886年(明治19年)2月10日~1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家・評論家・作家・フェミニスト、戦前と戦後にわたる女性解放運動・婦人運動の指導者です。
特に、大正から昭和にかけ「婦人参政権」の獲得に奔走したことで知られ、結局その実現は、第二次大戦中ポツダム宣言により大日本帝国を占領した連合国軍の占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たざるを得なかったが、戦後は、婦人運動、反戦・平和運動を推進しました。

平塚らいてうの生涯

平塚らいてうは女性が自由に生きられない社会に疑問を抱いていました。
日本女子大学校進学後禅を手がかりに自分を見つめつづけ、やがて雑誌『青鞜』を発刊して「隠されてしまった我が太陽を取りもどそう」とよびかけます。恋愛も結婚も出産も自分の意思で決め、「後ろを振り向かない」姿勢は生涯変わりませんでした。 第一次大戦後、女性の手で平和な世界を築こうと市川房枝らと新婦人協会を結成して女性参政権を要求、また消費組合運動にも参加しました。戦後は日本国憲法に共鳴して「世界平和アピール七人委員会」に参加、日本婦人団体連合会、母親運動、新日本婦人の会などに協力。信州あずまや高原は、若いころ信州に滞在して自然に惹かれたらいてうが、戦後「いつか野の花、野の鳥と親しみたい」と求めた土地です。
らいてうは平和運動に忙しく、夢をはたさないまま1971(昭和46)年5月24日85歳で死去。「憲法を守りぬく覚悟」のよびかけが最後のメッセージになりました。

記事参考

NPO法人平塚らいてうの会 >

ウィキペディア「平塚らいてう」 >

参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

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